動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし――。そう評された幕末の風雲児、高杉晋作(1839~67)。武士から町人、農民まで身分を問わない軍隊「奇兵隊」を率い、長州藩に維新の魂を吹き込みながら、27年8カ月で生涯を閉じた。その短くも情熱に満ちた一生に思いをはせることのできる場所が、山口県下関市にある。
東行(とうぎょう)記念館は高杉の没後100年を機に建てられ、1千点を超える資料を収蔵する。2010年に下関市立としてオープンした2階展示室は約110平方メートルと決して広くないが、コロナ禍前は全国から年間1千人近くが訪れた、知る人ぞ知るミュージアムだ。
足を踏み入れると、激動の年譜が目を引く。1839年に長州藩の武家の長男に生まれ、「松下村塾」で吉田松陰に学んだ。奇兵隊を結成し、英仏蘭米の列強4国との下関戦争で休戦講和交渉に臨み、藩政府が幕府に恭順姿勢を示すと決起して勝利した。長州藩はこの後、倒幕へと突き進むことになる。
「類いまれな行動力が魅力」と話すのは、展示の企画や調査研究をする久保槙一郎さん(26)。1年半前、愛知県内の大学院を修了後、山口県に移住し、同館の学芸員となった。
専門分野は「大正・昭和期の枢密院」だが「明治憲法体制の根底とも言える幕末の動乱にずっと関心があった」。高杉が残した史料を研究するうちに驚いたのが、長州藩が原動力となった維新の歴史を誇り、語り継ごうとする山口県の「風土」だった。
四半期ごとに展示を入れ替える。高杉の家族や友人ら周囲の人々に焦点を当てたり、高杉の顕彰活動に着目したり。現在の企画展「晋作の戦い」は藩政府打倒の決起、幕長戦争、闘病生活の三つの「戦い」に焦点を当てた。「多くの現代人に影響を与える高杉が、どんな出来事や人物に影響を受けていたのかを知ってほしい」という思いからだ。
決起の際に着用したかぶとや愛用の三味線など「高杉が実際に使っていた物」も数多く所蔵する。「高杉が何を思っていたのだろうと想像をかき立てられる」と久保さん。こうした貴重な資料は光や空気に触れると傷むため、年1度の限られた時期だけ展示室に置く。
高杉は、当時「不治の病」と…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル